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市原美穗理事長からのご祝辞



NPO法人 Home Hospice宮崎 理事長 市原美穗氏 )

2004年、宮崎市内の空き家になった民家を利用してはじまった「かあさんの家」の取り組みが、今、徐々に全国に広まりつつあります。開設のきっかけは、一人暮らしや老老介護で、自宅での介護力がなく、病院から家に帰れない人の選択肢は介護施設や公的な制度の支援だけでは限界がありました。そこで、空いている民家を借り共に暮らし、そこに在宅ホスピスケアのチームに入ってもらうという仕組みを考えたのです。かあさんの家は、在宅ホスピスの流れから誕生したのです。

普通の民家で、ちょっとした庭があり約30坪程度の広さ。入居者は5名で、食卓を共に囲み、同じ空間で過ごしていくうちに、結果として疑似家族のようにお互いを認め合い受け入れていく関係性が築かれることになりました。一人暮らしから、とも暮らしで最期まで過ごし、スタッフは、気配で入居者の動きを察し、病状の変化や普段の様子との違いに気づき、そして医療チームにつないで、24時間体制で支えています。

現在、宮崎市内に4箇所、全国あわせると27箇所、開設準備中のものを入れると30箇所を超えます。広がるにあたってはケアの質の担保が重要と考え、2015年に全国ホームホスピス協会を発足させ、そこで「ホームホスピスの基準」を定めました。

ホームホスピスのケアの目標に掲げていることが大きく二つあります。まず一つは、最後まで、暮らしといのちを支えることです。それは、病人であっても、生活者として支援することです。朝目覚め、顔をあらい、食事をして気持ちよく排泄をし、眠るという当たり前の生活を、最期の1日まで支えるということに尽きます。その人らしい最期とは、単に身体的な死だけでなく、その人の培ってきた関わりの完結、つまり人生の物語の完結ともいえます。ですから、一人一人の人生が同じものはないと同じく、ケアの在り方も一人一人違うのは当然ですから、個別ケアをベースにしています。

二つめは、見えなくなった死を、看取りを介して生活の場に取り戻すことです。もともと日本では家で家族が看取ってきた文化がありました。それが逆転して病院での管理の下に死を迎えるようになったのは、ほんの50年前に過ぎません。家族が悔いのない看取りが出来るように支え、その時間と空間を提供することも大切な目標です。 

ご家族にとって、穏やかに息を引き取るまでの寄り添いの時間は、もう元の状態には戻らないのだと死を受容し、人はこうして生き切るのだと教えられるのではないかと思います。「逝く人」は、いのちのバトンをしっかりと次の世代に渡し、「今を生きる」人は、寂しさはあるが、一方では安堵感があり、こうやって自分の生きていこうと力をもらうのだと感じることが多くあります。今後ますます多死社会に向かい、臨終の経験のない家族が増える時代だからこそ、地域の中に家族の看取りを補完する場所が必要なのではないかと考えています。

市原美穗
理事長
NPO法人 Home Hospice宮崎