WFU

山崎章郎先生からのご祝辞




緩和ケアは、命の危機にあるすべての人々に必要なケアです。

一般病院での終末期医療、緩和ケア病棟でのケア、そして現在取り組んでいる在宅緩和ケアの経験を通して言えることは、可能であれば、緩和ケアは在宅がベターであるということです。なぜなら、在宅が、もっとも自分らしく生きることが可能だからです」

在宅緩和ケア充実診療所ケアタウン小平クリニック 
山崎章郎





和田忠志先生からのご祝辞





中華民国在宅医療の未来を切り開こうとしている皆様へ

台湾在宅医療学会成立大会及び第一回国際シンポジウム開催、おめでとうございます。

日本と同じく深刻な高齢化を経験する台湾の友人たちが、在宅医療を推進しようと懸命の努力をしていることに敬意を表します。

台湾には、余尚儒先生、呉玉琴様をはじめ、私が尊敬する方々がたくさんいらっしゃいます。台湾の方々の勤勉と真摯な向上心をもってすれば、台湾の在宅医療と在宅ケアが発展することは間違いないと確信しています。

この大会での基調演者が、私の親友の前田浩利医師であることも、私にとっても記念すべきことです。

台湾には113ホットラインなど、日本にはない優れた福祉システムも整備されています。在宅医療や福祉活動に、皆様が創意工夫を行い、今後は、日本の私たちにも様々なことを教えてくれることを願っています。
皆様の力で、台湾の在宅医療の未来が切り開かれることを確信しています。

日本の友人 和田忠志より





三浦久幸先生からのご祝辞



「このたびは、台湾在宅医療学会の発足と成立大会の開催おめでとうございます。日本は「病院完結型医療」から「地域完結型医療」への転換が進められていますが、この中でも重要な活動が在宅医療と介護の連携です。これからは貴国でも、貴学会のお力で、在宅医療と介護の連携が進むことと存じます。貴会の先生方のこれからのご活躍を祈念しますとともに、貴国と日本との在宅医療推進での協働が益々進むことを期待いたします。」 以上ですが、このような内容でよろしかったでしょうか。

 また、『在宅医療 キュアからケアへ:僻地の医師余尚儒による病室改革の提案(仮訳)』の本の出版もおめでとうございます。 余先生のますますのご活躍を祈念いたします。

三浦 久幸
在宅連携医療部長
国立長寿医療研究センター

紅谷浩之先生からのご祝辞


オレンジホームケアクリニック 紅谷浩之)

この度は、在宅医学会設立大会の開催、おめでとうございます!

日本では在宅医療がはじまった当初、在宅医療は病院で行われている医療の出前のように思われていました。 しかし、私はこれまで在宅医療に関わっていく中で、病気や障害など生きづらさを抱えた人にとって、 病院の医療とは違う、全く新しいアプローチであると実感しています。

台湾でも0歳から100歳を超えても、幸せに暮らせる人が増えていくことと思います。 在宅医学会が地域に根ざした形で広がっていくことを心から願っています。

Be Happy!

紅谷浩之
オレンジホームケアクリニック





小笠原文雄先生からのご祝辞


日本在宅ホスピス協会 会長 小笠原 文雄)


第1回台湾在宅医療学会の開催、おめでとうございます。

大会長を務められます余先生と初めてお会いしたのは、2015年9月奄美大島で開催した日本在宅ホスピス協会全国大会でしたね。ポスターセッションで台湾嘉義での看取りについてご発表いただき、会長賞を贈呈させていただきました。そして、大変熱心に日本全国の先生方と交流されていたのを覚えています。 その後、小笠原内科にもご家族で2週間研修に来られましたね。

昨年、台湾で開催されました台北国際緩和ケア学会では「在宅緩和ケアで朗らかに生きよう」をテーマに、お話させていただきました。また、翌日には台南の奇美医院にて講演、国立成功大学看護学部の趙可式教授と対談、更に喜義では市民公開講座を行い3ヶ所の講演後に全員で『あくび体操』をするなど大変貴重な経験をさせていただきました。

今、台湾も大きな転換期にあると思います。余先生を始めとする在宅の先生方と病院の先生方との連携、訪問看護師を中心とした多職種、役所など『オール台湾』で今後の台湾の在宅医療が発展していき、来るべく少子高齢化の台湾の未来が明るくなることを祈っています。心からお祝い申し上げます。

小笠原 文雄
日本在宅ホスピス協会 会長
小笠原内科 院長





市橋亮一先生からのご祝辞



(総合在宅医療クリニック 市橋亮一先生)

総合在宅医療クリニック 市橋です。

私たちは来春からJ-program(Japan program)として宿泊施設を併設した在宅医療のための研修センターを岐阜に設立します。これまで過去5年間で350名、17職種、16カ国からの研修生を受け入れています。台湾から多くの方に来ていただき、経験や智慧の交換をさせていただきました。

日本の中心に位置し、東西への交通の要所にもあるためここから全国への研修を紹介できる仕組みを作っていきたいともおっています。 私達日本もまだ本当の在宅医療とは何かを模索しているところです。100箇所あれば100通りの在宅医療がある。それをAll Japanで考えています。

是非All Taiwannそして、All Asiaでともに考えていきましょう。それが世界が変わる第一歩だと思うのです。

市橋亮一
理事長
医療法人かがやき 
総合在宅医療クリニック





市原美穗理事長からのご祝辞



NPO法人 Home Hospice宮崎 理事長 市原美穗氏 )

2004年、宮崎市内の空き家になった民家を利用してはじまった「かあさんの家」の取り組みが、今、徐々に全国に広まりつつあります。開設のきっかけは、一人暮らしや老老介護で、自宅での介護力がなく、病院から家に帰れない人の選択肢は介護施設や公的な制度の支援だけでは限界がありました。そこで、空いている民家を借り共に暮らし、そこに在宅ホスピスケアのチームに入ってもらうという仕組みを考えたのです。かあさんの家は、在宅ホスピスの流れから誕生したのです。

普通の民家で、ちょっとした庭があり約30坪程度の広さ。入居者は5名で、食卓を共に囲み、同じ空間で過ごしていくうちに、結果として疑似家族のようにお互いを認め合い受け入れていく関係性が築かれることになりました。一人暮らしから、とも暮らしで最期まで過ごし、スタッフは、気配で入居者の動きを察し、病状の変化や普段の様子との違いに気づき、そして医療チームにつないで、24時間体制で支えています。

現在、宮崎市内に4箇所、全国あわせると27箇所、開設準備中のものを入れると30箇所を超えます。広がるにあたってはケアの質の担保が重要と考え、2015年に全国ホームホスピス協会を発足させ、そこで「ホームホスピスの基準」を定めました。

ホームホスピスのケアの目標に掲げていることが大きく二つあります。まず一つは、最後まで、暮らしといのちを支えることです。それは、病人であっても、生活者として支援することです。朝目覚め、顔をあらい、食事をして気持ちよく排泄をし、眠るという当たり前の生活を、最期の1日まで支えるということに尽きます。その人らしい最期とは、単に身体的な死だけでなく、その人の培ってきた関わりの完結、つまり人生の物語の完結ともいえます。ですから、一人一人の人生が同じものはないと同じく、ケアの在り方も一人一人違うのは当然ですから、個別ケアをベースにしています。

二つめは、見えなくなった死を、看取りを介して生活の場に取り戻すことです。もともと日本では家で家族が看取ってきた文化がありました。それが逆転して病院での管理の下に死を迎えるようになったのは、ほんの50年前に過ぎません。家族が悔いのない看取りが出来るように支え、その時間と空間を提供することも大切な目標です。 

ご家族にとって、穏やかに息を引き取るまでの寄り添いの時間は、もう元の状態には戻らないのだと死を受容し、人はこうして生き切るのだと教えられるのではないかと思います。「逝く人」は、いのちのバトンをしっかりと次の世代に渡し、「今を生きる」人は、寂しさはあるが、一方では安堵感があり、こうやって自分の生きていこうと力をもらうのだと感じることが多くあります。今後ますます多死社会に向かい、臨終の経験のない家族が増える時代だからこそ、地域の中に家族の看取りを補完する場所が必要なのではないかと考えています。

市原美穗
理事長
NPO法人 Home Hospice宮崎